敬老の日を深く考える
9月18日は敬老の日です。敬老の日は、「多年にわたり社会に尽くしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う日」という意味がありますが、皆さんは祖父様・祖母様へ何かお祝いをされましたでしょうか?
今の世の中では、高齢者を老害だと揶揄したり、高齢者は日本の為に死ねと発言される方もいます。
もちろんこの言葉には表面上の理由だけではなく、裏に隠されている意味を理解する必要がありますが、人には論理的に理解する方と感情的に理解する方がいますね。人によっては、こういう言葉を酷いという人もいれば、確かにという方もいるでしょう。高齢者が暴言を吐いたり、事故を起こしたりする事件も度々発生しているという事実もありますし、その場の目線であればそのような発言も理解はできます。
ただ、そもそも私たちの人生の先輩である高齢者は、私たちが安全に暮らせるこの世の中を支え、踏ん張ってきた方々であるという側面を理解しないといけません。
あなたがもし今必死に仕事をして大きな社会貢献を達成したとして、70歳くらいになった時に「あなたは老害です」と言われてみた場面を想像してみて下さい。
その言葉が間違っている事に気付きませんか?
私たちがこうやって安全な国に暮らせているのは、高齢者の方々のおかげなのです。
そうすると、おのずと出てくる言葉は「ありがとう」ではありませんか?
それが敬老の日だと思います。
今の時代、祖父様・祖母様に対して何もしないという方も多いと聞きます。私たちが存在しているのは、高齢者の方々が支えてきたという事実に対して、敬愛するという気持ちを持てば、若年層・中年層・高年層との間での摩擦は無くなります。
これは会社組織の中でも同じ事が言えます。
若年層に対しては、「よし!色々教えるからね。これから宜しくね」という気持ち。
中年層に対しては、「今を頑張ってくれてありがとう」という気持ち。
高年層に対しては、「今まで踏ん張ってくれてありがとう」という気持ち。
自分ファーストではなく、相手ファーストに考えればすぐに分かる事ですね。
敬老の日。
一度立ち止まって、深く理解していただければと思います。